1886
11月27日、うさぎ幼稚園の前身である「駒込幼稚園」を本郷区東方町に設立
初代園長、古市静子就任
1890
駒込幼稚園火災消失
本郷区内竜岡町麟祥寺院内に移転し、「沖靜幼稚園」と改名
1899
本郷片町へ移転
日本海海戦
1908
入新井村(現在の大森)へ移転
1916
二代目園長、島澤雅就任
母の会発足
1922
「大森幼稚園」に改名
移転当時はあたり一面に田畑と竹やぶが広がっていた大森駅周辺も次第に発展し、人口が増加。そのため土地に馴染み深いよう、地域の名を冠した「大森幼稚園」に改名した。
1924
英会話指導開始(中村キルビー・メリー女史)
画像提供:学校法人キルビー学院
早期からの芸術教育の重要性に注目していた島澤雅園長は、さまざまな「芸能教育」を積極的に導入。とくに英語については「喉がやわらかいうちに正しい発音を教えるのが最良」と考え、幼児と小学生向けの英会話指導をいち早く取り入れた。指導にあたったのは、明治〜大正時代にかけて慶応義塾幼稚舎の英語教員を務め、晩年まで日本の早期英語教育の先覚者として活躍した中村キルビー・メリー女史。キルビー女史が考案したダイレクト・メソッドに基づく子ども向け英会話が話題となる。
1925
図画の特別指導を開始(洋画家/版画家・永瀬義郎氏)
英会話に続いて、大正14年(1925)からは図画科を創設。講師には、美術の大衆化運動や自由画の提唱で名高い山本鼎氏、そして創作版画のパイオニアとして知られる永瀬義郎氏を招き、油絵や版画などの特別指導を開始した。
画像提供:株式会社デュナミス
1930
洋舞踊の特別指導を開始(教育舞踊家・印牧秀雄氏/柿沢充氏)
画像提供:柿沢舞踊研究所
続く昭和5年(1930)には、児童舞踊の研究家であった印牧秀雄氏と同門下の柿沢充氏による洋舞踊の特別指導も開始。年齢に応じた無理のない動きや踊りを実践することで、音感やリズム感を養うレッスンが好評を集める。
1932
「第二大森幼稚園」設立(大森区山王)
園児が100名を超え、遠方から交通量の多い道を通って登園する子どもたちが増えてくると、父兄から交通安全対策を望む声が増加。そこで当時の「母の会」会長・四方照子夫人の厚意で山王にある住宅の提供を受け、分園となる「第二大森幼稚園」を開園。園児34名でのスタートとなった。
声楽の特別指導を開始(小笠原寿々代女史)
英会話や図画、洋舞踊などハイレベルな特別指導が受けられる保育後の芸能教室は、しだいに人気講座へと成長。昭和7年(1932)には、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)出身の小笠原寿々代女史を招き、本格的な声楽のレッスンもスタート。近隣の小学生や女学校の生徒たちが次々と参加し、大盛況となった。
日本舞踊特別指導を開始(藤蔭静樹氏)
第二次世界大戦
太平洋戦争
1944
第二大森幼稚園、強制疎開(3月)
第一大森幼稚園、戦災により焼失(5月)
1947
洗足の借間で「第一大森幼稚園」を復興
1948
大井で野外保育青空幼稚園を開園
半年後に20坪の園舎を新築し、「第二うさぎ幼稚園」として設立
1949
洗足の借間から現在地へ移転。
園舎を新築し、「第一うさぎ幼稚園」として設立
1953
第二うさぎ幼稚園増築、「大井うさぎ幼稚園」と改称
青空幼稚園からスタートした「第二うさぎ幼稚園」では、年々園児が増加。ついに増改築が急務となる。増改築は清家清氏が担当。これを機に名称を現在の「大井うさぎ幼稚園」に改称。
1954
第一うさぎ幼稚園改築、「洗足うさぎ幼稚園」と改称
園児制服導入
青空幼稚園からスタートした「第二うさぎ幼稚園」では、年々園児が増加。ついに増改築が急務となる。増改築は清家清氏が担当。これを機に名称を現在の「大井うさぎ幼稚園」に改称。
うさぎ幼稚園で初めて制服が導入される。女子は緑のスカートに白いブラウス、男子は緑の半ズボンに白いシャツが基調。また、スカートとズボンには園のシンボルである「うさぎ」があしらわれていた。
1956
キンダーバスにて園児送迎開始
より安全に園児たちが登園できるよう、キンダーバスによる園児の送迎が開始される。園のシンボルマークのうさぎが車体に描かれたキンダーバスは、園児たちや近隣の人々に親しまれた。
1971
「市原うさぎ幼稚園」設立
創立85周年となったこの年、第三の分園となる「市原うさぎ幼稚園」が千葉県市原市に誕生。木立に囲まれた3000平米の敷地には、5つの保育室と1つの大ホールを併設した立派な園舎、そして広々とした園庭が備わり、子どもたちの教育に理想的な環境が整備された。
1979
三代目園長、島澤良就任
しまざわ・よし/園の拡大と発展に多大な貢献をした二代目園長・島澤雅女史の逝去に伴い、長女の島澤良女史が三代目園長に就任。良女史は大正6年(1917)生まれ。母である雅女史の後を追うように幼児教育の道へ。以降、一貫して教育と園の運営に尽力。うさぎ幼稚園の副園長として、長きにわたって母・雅女史を支え続けた。園長就任後は、世界幼児教育機構(OMEP)に参加、欧州や中国への視察を実施するなど精力的に活動。それらの功績により、昭和58年(1983)に藍綬褒章、平成5年(1993)には勲五等宝冠章の叙勲を受ける。
2000
預かり保育モデル事業(きんだあくらぶ)品川区より受託
品川区が実施している預かり保育モデル事業「きんだぁくらぶ」の委託を受け、預かり保育を開始。通常の保育時間の延長や、長期休暇中の保育に対応。